魔王(の中の人)の自己紹介
2024年06月17日更新
このページでは、僕がどんな人間で、どんな仕事をしていて、どんな過去や生い立ちを持っているのか、について書かせていただきやす!
ざっくり最初にお伝えすると、僕はさまざまな副業/事業を、プログラミングによって自動化して、たくさん運営している人です。
そして、このサイトのようなその経験やノウハウを伝える講座も運営しています。
そもそも、なぜわざわざノウハウを広く公開しようと考えたのか、それには僕の生い立ちやAIが深く関係しています。
生い立ち
僕は1983年に神奈川のごく普通の家庭で生まれ育ちました。
父は製造業のサラリーマン、母は専業主婦で、兄が一人、祖父母と、ミニチュアダックスフンドが一匹、という家族構成でした。
初めてのプログラミングは1分で挫折
今では自分にとって必須スキルのプログラミングですが、小学校6年生のときに父に教えてもらったBASICが人生初のプログラミングでした。
父に「ドラクエが作りたい」と言ったら見せてくれたBASICの真っ黒い画面。
「ドラクエ作るのってこんなに大変なんだ、、、!」
と、当時の自分にとっては難しすぎて、すぐに挫折した記憶があります。
中学校でプログラミングにハマる
中学2年生になった頃、Windows98が発売され、インターネットが本格的に一般家庭へ普及し始めました。
そこでまた僕は「ホームページが作りたい」と父に言いました。
すると父が本屋さんへ連れてってくれて、HTMLの書籍を買ってくれたのですが、そこで自分はHTMLに衝撃を受けます。
「何これめっちゃ分かりやすい・・・!」
HTMLなら画面を見ながら作ることができて、初心者の僕にとっては非常に直感的だったのです。
「これなら作れそう!」
こうして僕はプログラミング(厳密にはHTMLはマークアップ言語です)にのめり込むようになりました。
このとき父がHTMLの本とパソコンを買い与えてくれなかったら今の自分はいないので、ホント父には感謝の気持ちしかないです。
不良少年だった10代後半
プログラミングスキルが一気に伸びたのは、高校時代です。
HTML/CSSだけでなくJavaScriptやActionScript、Perlも学び、デザインにも興味を持ち始め、カンタンなアバター付きのブラウザゲームを作れるほどになりました。
しかし、趣味で始めたロックバンドの影響で徐々に不良への道を歩み始めてしまいます。
非行が徐々にエスカレート
高校1年のときに数学で100点を取るなど、学力のピークでした。
でもそこからは
「音楽活動を本格化させたい!」
「メジャーデビューしたい!」
という思いが強くなりすぎて、親に内緒で授業にもロクに出ない毎日を過ごしました。
卒業式前日に金髪に染めて先生に怒られ、反抗して髪も眉毛も全剃りして眉なしスキンヘッドになりました。
さらに家出して近所の公園で野宿したせいで、卒業式を欠席してしまった大馬鹿者でした。
変わり果てた僕の姿を見て、今まで一度も涙を見せなかった母親がすすり泣いていた姿は今でも覚えています。
専門学校を3ヶ月で辞めて全国ツアー
その後、親の説得でデザイン系の専門学校に入学することになりました。
しかし、所属していたロックバンドで全国ツアーが決定したため入学からたった3ヶ月で中退してしまいます。
今思うと、専門学校の高い学費を払わせておいて3ヶ月で中退だなんて親不孝すぎますね。。。
フリーターのドン底時代
小さい頃から父と「学校を辞めるなら自立する」という約束をしていたので、僕は実家を出て一人暮らしをすることになりました。
とは言っても、音楽活動をしながらキツイ日雇いバイトでギリギリの生活費を稼ぎ、具なしインスタントラーメンで食いつなぐ日々。
とても自立とは言えない状況です。
そんな中、先輩バンドマンから頼まれたデザインの依頼を途中で投げ出してしまい、先輩に「今からお前の家まで行くからな」と言われ、追い詰められた結果、深夜に最低限の荷物を持ってスクーターで夜逃げしてしまいました。
これも完全に僕が悪いですね。
先輩は悪くないです。
途中で投げ出した僕が100%悪いです。
警察に補導されて親の前で号泣
最悪なのは、その1年後。
友人3人と一緒に夜中まで遊んでいたら、ふと「なんかプールで泳ぎたくない?」という話になり、近所の小学校のプールに夜中にこっそり忍び込んで泳いでいました。
すると突然数台のパトカーに囲まれ、4人全員警察に補導されてしまうという事件を起こしてしまいました。
警察から電話連絡があったのか、深夜24時ごろに警察署へ父が来て、警察の方々に平謝りしていた父の背中を見て、さすがに申し訳ない思いでいっぱいになって、号泣しながら父に謝りました。
「もういいかげん、一人前の大人にならなきゃダメだ」
「親を悲しませるようなことは絶対にしちゃいけない」
そう強く心に誓いました。
改心と不安
それから僕は、髪を黒く染めて、ピアスを外し、日雇いバイトを辞め、代わりに月給制のアルバイトで真剣に働き始めました。
真面目に働いて、バイト仲間もできて、店長にも認められて、そこそこのお給料もいただけて、充実した毎日を送っていました。
でもある日ふと、
「このままこの仕事を一生続けるのかな?」
「この給料で結婚して子育てしていけるのかな?」
「その先の老後って大丈夫なのかな?」
と、さまざまな疑問と不安が押し寄せてきました。
そんな中、インターネットでいろいろ調べていた中で、副業と起業という言葉に出会います。
副業から起業、そして解散
今までお金の稼ぎ方は企業の下で働くことしかないと思っていた自分にとって、副業や起業はとても新鮮でワクワクする世界でした。
副業でアフィリエイトを始める
当時世の中でアフィリエイトという副業が流行っていました。
アフィリエイトとは、サイトやブログを作って、そこに広告を載せ、そこ経由で広告に載っているモノが売れると、成果報酬がもらえる、という副業です。
自分はHTML/CSSが得意分野だったので、これはやるしかない!と一念発起してサイトを作りまくりました。
当時は集客もカンタンだったので、サイトを作れば作るほど稼げるゴールドラッシュのような時代だったんです。
フリーターから起業家へ
そうやって僕は副業収入が本業収入を超えたため、勤務していたアルバイトを辞めて、23歳で起業しました。
その後はアフィリエイトだけでなく、ドメイン販売やSEO対策代行、Webコンサルティング、月刊誌の電子出版など、さまざまな事業を展開するようになりました。
25歳で株式会社を設立し、代表取締役に就任、社員3名を雇用して、新宿パークタワー31階にオフィスを構えるようになりました。
しかし、災難は突然訪れます。
収益の激減
創業5年目のある朝、自社サイトへのアクセスが急激に落ちていることに気が付きました。
顔が真っ青になり、震える手で原因を調査していくと、今までGoogleやYahoo!等の検索エンジンで上位10位以内に入っていたサイトが軒並み圏外に吹き飛んでしまっていたようでした。
しかも自社サイトだけでなく、SEO対策代行をしていたお客様のサイトまで圏外へ吹き飛んでしまっていました。
僕は全てのお客様へ誠心誠意謝罪し、いただいていた年間報酬も全額返金した上で自主的に解約とさせていただきました。
会社の解散を決意
この返金と解約によって会社収益が激減してしまい、様々な事業が立ち行かなくなってしまいました。
社員の給与も数ヶ月以内に払えなくなってしまう状況です。
これは全てリスク管理ができていなかった僕の責任。
今の自分には彼らの人生を背負っていく資格はない。。。
そう悟った僕はみんなへ給与を払えるうちに会社を解散させることを決断しました。
中には東証一部上場企業を辞めてウチに来てくれた社員もいたので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
サイバーエージェント時代
解散を決めてからもう一度、一人の人間として自分を鍛え直そうと決意した僕は、会社経営の道を一切封印して、企業へ就職する道を選びます。
自分を鍛え直すために様々な書籍を読んでいた中で、最も感銘を受けた本がサイバーエージェントのSさんが執筆された本でした。
いつかSさんにお会いしたいなと思い、Twitterでなんとなくメッセージを送ってみたところ、「いつかではなく今会いましょう」とおっしゃって頂き、サイバーエージェントという会社にとても興味を惹かれました。
入社
後日、サイバーエージェントのオフィスに伺い、Sさんの部屋に通されました。
Sさんはとても笑顔が素敵で物腰柔らかな方ですが、非常に論理的で頭の回転の早い方でした。
その場で僕は「サイバーエージェントに入りたい」と伝えると、「特別扱いはしないですがいいですか?」と言われ、「もちろんです」と答えました。
そして後日、2回の面接を経て、サイバーエージェントに正社員として中途入社させていただくことになりました。
7時出社、25時帰宅の日々
入社したはいいものの、自分は経営者としては数年のキャリアがありますが、エンジニア/プログラマーとしての企業勤務経験は少なく、スキルも貧弱でした。
そのため、誰よりも早く出社して誰よりも遅くまで仕事しなければダメだと思い、7時出社、25時帰宅というフルアクセルを踏み続ける毎日を過ごしました。
土日も出社して、2〜3人しかいない静かなオフィスの中でバリバリ働いていました。
しかし、当然ながらそんな生活をしていたら、身体を壊します。
何度も身体を壊しながらも、めげずに無茶しまくって、がむしゃらにプログラムを書き続けていまいた。
リードエンジニアに
その必死の努力が実り、入社数ヶ月後にはリードエンジニア(リーダーのようなもの)として開発チームを率いる役割を与えてもらえるようになりました。
他にも、社内の事業コンテストでアイデア賞を受賞したり、最も大きなプロダクトのボードメンバーに選んでいただいたり、充実した日々を送っていました。
スキルとしても、フロントエンドからサーバーサイド、インフラまで多くのことを学ばせていただき、経験させてもらいました。
今でもサイバーエージェントには感謝の気持ちしかありません。
退職、友人のスタートアップへ
サイバーエージェントには3年近く在籍して退職しました。
理由は、友人から誘われて、スタートアップへ参画することになったからです。
副業から転職
退職する1年ほど前からお声がけいただいていて、副業としてシステムを作ったりデザインしたりしていました。
副業と言ってもどちらかというとスキルアップ目的だったので、報酬は一切いただかずに無償でお手伝いしていました。
しかし、徐々にそのスタートアップも規模が大きくなり、副業では間に合わなくなってきてしまいます。
そこで自分も退職して本業としてそのスタートアップに参画することを決意しました。
CTOとしてベトナムへ
そのスタートアップではCTOとして、フロントエンド、サーバーサイド、インフラ、デザインまで全て自分が設計して作っていました。
他にもフィリピン人エンジニアの開発メンバーが数名いましたが、彼らは別のミッションがあったので、基本的に開発もほぼ全て自分一人で進めました。
また、同時にベトナム支社を立ち上げるために現地(ハノイ)へ飛び、ベトナム人エンジニアの採用面接を行なったりもしました。
半年で離脱
残念ながらこのスタートアップは、主に集客面で分厚い壁にぶつかり、僕は参画から半年で離脱することになります。
とても悔しかったですが、完全に自分の実力不足でした。
このスタートアップのメンバーのうちの一人は元々10年来の親友だったので、彼とはその後も様々な事業を一緒に立ち上げることになります。
再独立
前述のスタートアップで報酬をかなり下げた状態で参画したこともあり、貯金を使い果たしてしまったので、一度しっかり生活を立て直そうと思いました。
また、今回のスタートアップ参画によって、やはり自分には就職よりも起業のほうが合っていると感じるようになりました。
一方ですぐに生活費を稼がなければならない現実もありました。
そこで自分が選んだ道がフリーランスです。
フリーランス化と結婚
フリーランスエンジニアとして独立して企業から開発案件をもらって生活費を確実に稼ぎつつ、副業で自分の事業を進める。
その方向性で行くことに決め、古巣であるサイバーエージェントや他企業から開発案件をいただきながら、多数の副業を立ち上げるという毎日を送っていました。
そんな中でいまの妻と知り合い、33歳で結婚することになり、その1年後には長男を授かりました。
副業の一つが大当たり
副業のほうも、いくつか立ち上げていた事業の一つが大きく成長し、その事業だけで平均月収100万円を超えるようになってきました。
月によってはラッキーパンチで月収1500万円を超える月もありました。
この副業は友人と2人だけで進めていて、しかもコロナ禍で1年半もの間一度も会わずにリモートで連絡を取りながら、本業を超える収益化に成功した奇跡のスタートアップでした。
上場企業への事業売却
しばらくの期間、このスタートアップは2人だけで進めていました。
しかし、いくつかのライバルが現れたり、新規開拓先がなくなってきて、徐々に売上の伸びが停滞してしまいます。
そんな中、知人のある経営者がM&Aを提案してくださり、その人が経営する上場企業へ7000万円で事業売却することになりました。
ChatGPTの衝撃
その後も様々な副業/事業を立ち上げつつ、2人目の息子を授かり、家族4人でドタバタ子育てしながら、鎌倉の海辺の街でのんびり楽しく暮らしていました。
しかし、そんな平和な日々に黒船が襲来します。
そう、ChatGPTです。
一変するプログラミング
皆さんもご存知の通り、ChatGPTやGitHub Copilot、その他付随するAIツール達は、私達のシステム開発業務を大きく変革しました。
要件定義も設計も実装もテストもPRレビューも、エンジニアの代わりにAIが担ってくれる範囲が日に日に増えています。
最終的にエンジニアの仕事は
「判断する」「責任を取る」
という2つの仕事だけになると思われます。
ハイレベルなエンジニアだけ生き残る
AIが作った要件定義やシステム設計、コード等を見て、GOサインを出したり、修正指示を出せるのは、技術に精通した人だけです。
また、技術者でない日本企業のエライ人達は、システムに何か問題があった場合に責任を取らされたくないので、代わりに責任を負ってくれる適任者を必ず探します。
その2つがエンジニアに求められる役割になっていきます。
そのため、適切な判断ができて責任を負えるほどの高いスキルを持ったエンジニアしか生き残れない可能性が高いです。
企業間の競争が激化
さらには、生成AIによって今までの数倍のスピードで開発が進められるようになってきています。
AIによってシステム開発のスピードが高速化するということは、新しいプロダクトやサービスがものすごいスピードで誕生しまくり、ものすごいスピードで改善されるということです。
その上、エンジニアという高価な人件費がかからないので開発コストも非常に安くなります。
こうなったら各社の競争が激化するのは必至です。
今まで以上に弱肉強食や下剋上が多発していけば、大企業であっても、勢いのあるベンチャーであっても、1年後には倒産の危機に瀕しているかもしれません。
エンジニアの自己防衛
雇用が不安定になった時、我々エンジニアはどうするべきでしょうか?
自己防衛手段はあるのでしょうか?
それが僕がこのサイトを作った理由に繋がってきます。
どうすれば自己防衛できる?
自己防衛するためには下記3つの手段があります。
- 幅広いスキルを磨く
- メガベンチャーで働く
- 収入源を複数にする
①幅広いスキルを磨く
AIが作ったものを正しく評価し、適切な判断を下すためには、幅広いスキルが必要です。
クライアントサイドからサーバーサイド、インフラ、セキュリティ、コンプライアンス、そしてAIも含めて、多くの知識をフル活用しなければなりません。
その会社やそのチームでしか通用しないようなスキルを磨くのはほどほどにして、汎用性のあるスキルを身につけることが重要です。
②メガベンチャーで働く
エンジニアを採用する時や、フリーランスエンジニアに仕事を依頼する時、もちろんスキルも大事ですが、人柄も重要視されます。
そのため、過去に一緒に仕事したことがあったり、信頼関係が築けていると、「戻ってこない?」とか「一緒に働きませんか?」と誘われたりすることが多々あります。
特にメガベンチャー(有名なIT企業)は人も多く、そういった人脈をたくさん作るチャンスがあり、採用チャンスも多いです。
③収入源を複数にする
これからの激動の時代、収入源が一つでは自分の会社の倒産やリストラに日々怯えなければなりません。
しかし、収入源が3つ4つと分散されていれば、どれか1つがピンチになったとしてもそこまで不安は大きくありません。
特に、エンジニアは一般人と違ってシステムを作れるので、非労働型の収入を生み出すことができます。
このアドバンテージは非常に大きいです。
自己防衛手段を伝えるサイトを作る
僕がこのサイトを作った理由。
それは、3つの自己防衛手段について僕ならノウハウを詳しく教えられるということに気づいたからです。
3つの自己防衛ノウハウ
僕はフルスタックエンジニアとしてフロントエンドからサーバーサイド、インフラまで全て自分で構築して様々なサイトやSaaS、システムを作っています。
最近はプロンプトエンジニアリングの仕事を請け負ったり、ChatGPTやGitHub Copilotを駆使して開発工数を大幅に削減したりと、生成AIを仕事にフル活用しています。
また、サイバーエージェントに中途入社したノウハウや、CAで採用する側を経験していたり、独立した時にCAから何度も仕事を依頼してもらったり、CAで知り合った仲間と一緒に事業を立ち上げて1億円以上稼いだりと、多くの恩恵を得ました。
副業に関しても、20歳の頃から20年間ずっと副業/事業を多数立ち上げてきたので、その経験やノウハウが語り尽くせない程あります。
それらをすべてこのサイトでお伝えしたいと思っています。
なぜノウハウを公開するのか
なぜノウハウをわざわざ公開するのか。
「どうせ稼ぎたいだけでしょ?」と思われるかもしれません。
もちろん、その通りです。笑
100億円ぐらい稼ぎたいです。笑
でも、稼ぎたいだけではこんな大変なことはしません。
なぜ大変な思いをしてノウハウを公開するのか。
それは、僕がここまで多くのノウハウを得られたのも、多くの副業や事業で成功することができたのも、全てエンジニアのおかげだからです。
エンジニアのおかげで今の自分がいる
つい忘れてしまいがちですが、我々エンジニアは多くのオープンソースソフトウェアの恩恵を受けながら働いています。
Node.js、TypeScript、React、Next.js、TailwindCSS、Lucide、Pixi・・・
それに加えて、ネットを調べればブログやStack Overflow、Qiita、Zennで多くの役立つ情報や知見を残してくれています。
数え切れないほどたくさんの素晴らしいフレームワークやライブラリを無料で使わせてくれて、困ったときに解決のヒントを無料で教えてくれる。
つまり、我々は彼ら(エンジニア)のおかげでゴハンを食べてきたと言っても決して大げさじゃないはず。
だからエンジニアには必ずこの借りを返したい。
死に直面してようやくそういう気持ちになりました。
もらうだけもらって死にたくはない。
死ぬ前に借りを返したいだけなんです。
だから、一人でも多くのエンジニアがAI時代を生き残れるように、自分ができることは全部やりたいんです。
さいごに
長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
僕という人間に興味を持ってくださり、貴重な時間を割いてくださったことに、本当に感謝の気持ちしかありません。
本当にありがとう。
願わくば、この半分冗談のようなフザけたサイトが少しでもあなたの役に立てますように。
願わくば、あなたが寿命を迎える時に「最高だったな」と思える人生になりますように。